ほがらからか文庫032:「読む力・聴く力」 河合隼雄著 ; 立花隆著 ; 谷川俊太郎著
ある日、歴史小説が好きな夫がめずらしく私好みの本を持ち帰ってきました。
久しぶりに見る、この3人の著者の名前。
それぞれの著作は、中学から大学時代によく親しんだので、同窓会で久しぶりに会ったような懐かしさと、さて今彼らは何を語るのだろうかと言う好奇心とが湧いてきた始めの1ページでした。
この本は、ある時の講演会をまとめたものです。
「読む」「聴く」という人間の持つ能力を、それぞれの経験を踏まえて縦横に語らっています。
たとえば、河合隼雄さんの「聴く」という本業、その態度。
それは、児童文学で有名なミヒャエル・エンデの「モモ」の中で、主人公のモモが住み着いた洞穴で、周りの人々の話を聞いて、聞いて、それで彼らの問題を解決していく。
河合隼雄さんのお話は、ふと「モモ」を思い出させるようであり、私自身の「聴く姿勢」をあらためて見直したくなりました。
立花隆さんの、100冊読んで1冊本を書くという、インプットとアウトプットのバランスや、「わかる」という意味での「聴く」というお話は、日々の読書記録をこのように文章にしてている私としては、身の引き締まるようなお手本になりました。
そして谷川俊太郎さんの詩が綴られ、3人の対談へと話は深まっていきます。
もう絶対に実現することのない、この巨頭3人の貴重な語らいは、いつまでの私の「読む力・聴く力」を引出してくれるに違いありません。また大切な1冊が加わりました。
ほがらか文庫031:「すてきなあなたに」 大橋鎭子編著
図書館の閉架書庫にそっとしまわれていたこの本を持ち出しました。
借りる際に、受付の方が「だいぶ汚れていますけど、いいですか?」と声をかけてきました。
読みたい気持ちでいっぱいの私には、本の状態など何も気にはなりません。
かえって、この本がたくさんの人に読まれてきたことがわかり、なんだかうれしくなります。
しかも今は新品では買えない版のものですから、とても貴重なのです。
「とと姉ちゃん」でも描かれている、戦争に対する怒りと悲しみ、そこから懸命に、そして美しく暮らしてきた眼差しが、「すてきなあなたに」のエッセイに散りばめられています。
たとえば、私が今回読んで真似をしようと思ったのが、「見るだけ」という一節。
ちょっと入って覗いてみたいお店があっても、黙って入って黙って出て行くのは気まずいもの。
それを鎭子さんは、「のぞかせていただきます」「ちょっと見せて下さいね」と言ってお店に入り、出て行く時にはお礼を言うのですって。
なるほど、と思いました。
このようなささやかだけれども、素敵な心遣い、暮らしの知恵、そして私も取り入れたいと思うようなアイデアが必ず見つかるのが、鎭子さんの文章であり、今も発刊されている雑誌「暮しの手帖」なのです。
そして暮しの手帖社が発信するメーッセージは、何度も読み返したいものばかり。
一度手にしたらそう簡単には手放せなくなります。
穏やかなトーンの文章の中にある、より良く暮すことへの飽くなき探究心にこれからも触発を受けていくでしょう。
おまけの緒:ポイントの使い方
みなさんもひとつやふたつは、どこかのお店のポイントカードをお持ちでしょう。
貯まったポイントはどのように利用していますか?
私はいざポイントを利用できるとなると、いつも迷ってしまいます。
「せっかく貯まったのだから何か良いことに使おう」
なんて欲ばりになったりして。
数日前、あるお店のポイントが500円のお買い物券に換えられるまでに貯まりました。
「さてどう使いましょう」
そのお店は複合施設なので、食品から洋服、カフェやレストランもあり、どこでもそのお買い物券を利用できます。
食品の足しにしたら、あっというまになくなってしまいますし、コーヒーを1杯いただいてもそれで終わりです。
なにかピンとこないのです。
しばらく考えて浮かんだアイデアが、「本を買う」ことでした。
このポイントで1冊の本が手に入れられると思ったら、本当にワクワクします。
他に思い浮かんだアイデアでは、ちっともワクワクしなかったのですから。
みなさまおためしあれ。
ほがらか文庫030:「ハワイイ紀行 完全版」 池澤夏樹著
7月に入りました。
そろそろ夏休みの話題が職場や家族の間で出る頃でしょうか。
旅の半分は計画が楽しいと思いますが、その中に訪ねる土地の本を読むことを加えることをお勧めします。
もちろんガイドブックではありません。
昨秋、久々の海外旅行で初めてハワイに行きました。
計画段階で、ハワイ本を何冊も手にとって立ち読みをしました。
またハワイが大好きな有名作家のハワイエッセイも読みました。
もちろんそれぞれに良さはありますが、ハワイに行くならまず知っておくべき大切なことが書かれているのは、池澤夏樹さんの「ハワイイ紀行」と思います。
この本には、日本人が観光で触れているハワイではなく、本来のハワイがどのような姿なのかが書き上げられています。
そもそもこの島々の呼び方は正式には「ハワイイ」だそうです。
私の心にしみこんだ言葉を抜きだしました。
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旅を目的主義的に組み立ててはいけない。旅の値打ちを見たものの数や、名所旧跡の数々、買物の量、撮った写真などで計ってはいけない。旅はただ気持ちよく過ごした時間の長さでのみ評価されると考えよう。P.19
主要産業は観光、と他の島と同じことをここでも言わなければならないが、それならば現代人にとって観光とは何か、それをゆっくりと考えてみるのもいいだろう。P.27~28
土地があって、そこに人が来て住む。これが人間の歴史の基本型である。ハワイイではそれが明確で見やすい形で実現している。いつどこから来た人々か、何を持ってきたか、人口三十万ほどの小さな社会にどれほどの文化的活力があったか、そういうことをこの島々に学ぶことができる。P.461
人間はこの地球の上で生きてゆくことができ、限定された範囲で栄えることができる。この人間の存在の基本原理をハワイイは証明してきた。今の時代になぜそれがうまくゆかないのか、それはまた別の問題であるが、それについて考えるためにもハワイイ諸島とそこの人々を見ることには意義がある。楽園は可能だ、とハワイイはわれわれに教えているのだ。P.462
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ちなみに、私がこの旅で印象深かった場所はパールハーバーです。
ハワイに行く前の、昨年の夏に「昭和史」
ほがらか文庫016:「昭和史 1926-1945」半藤一利著 - ほがらか文庫
を読んでいたので、その歴史が刻まれている場所のひとつを訪ねられたことは、読書も旅もいちだんと有意義なものになりました。
読書がつながるたびには私の心は踊ります。
ほがらか文庫029 : 「園芸家の一年」カレル・チャペック著
本を読んでいると、どこかで必ず心に深く染み込んでくるような言葉に出会います。
そんなとき私は、iPhoneのメモ機能に残しておきます。
また次に読んだときに違和感がありそうなので、付箋をつけたり、マーカーを引いたりすることは今のところしていません。図書館で借りている本の方が多いのが実際のところでもあります。
この取り上げた言葉たちを時々見返すのもまた良いもので、日常のなかでは忘れがちだけれども、大切にしたい想いを再確認するようなひとときとなります。
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手のひらほどの大きさでも、庭を持つべきだ。何を踏んでいるか認識するように、少なくとも、花壇を一つ持てるといいのだが。そうすれば、きみ、どんな雲も、きみの両足の下にある土ほど多種多様ではなく、美しくも恐ろしくもないことがわかるだろう。P.162
未来は、わたしたちの先にあるのではない。もうここに、芽の形で存在しているのだから。未来は、もうわたしたちといっしょになっている。今わたしたちといっしょにないものは、未来になっても存在しないだろう。わたしたちには芽が見えないが、それは芽が地面の下にあるからだ。わたしたちに未来が見えないのは、未来がわたしたちの中にあるからだ。(中略) ーわたしたちの憂いや不信など、まったく馬鹿げたことだ。いちばんたいせつなことは、生きた人間であること、すなわち、成長しつづける人間であることだ。P.197
カレル・チャペック「園芸家の一年」(平凡社ライブラリー版)より
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春に種を蒔いたバジルの成長が伸び悩んでいましたが、やっと収穫できるようになりました。
小ぶりの葉っぱですが、次から次へと実りをもたらしてくれています。
スピードや効率が求められる時代だからこそ、植物を育てたり、編み物をしたり、本を開いたりして、すぐには完結しないことを暮らしの中に取り入れて、時間の感覚のバランスを取っています。
ほがらか文庫026:「父の詫び状」向田邦子著
「昔カレー」にちらっと登場する日本橋の洋食屋「たいめいけん」の名物、各50円のコールスローとボルシチ。向田邦子さんがお世話になったというカレーこそ食べなかったのですが、向田邦子さんゆかりのお店で、先日「父の詫び状」談義に花を咲かせてきました。
“家族“をテーマに話しはじめたら止まらない叔母と私のランチタイム。
この本をプレゼントしてくれたのも、向田邦子研究会に入っている叔母です。
しばらく疎遠にしていた叔母と、こうしてランチをしながらおしゃべりするにいたったことにしてもひとつのエッセイが書けそうなほど、“家族“にまつわるドラマは一人ひとりの中で今も絶賛上演中。
「父の詫び状」は、向田さんの日々のエピソードと家族の思い交わる短編のエッセイ集。わたしもひとつ書いてみようかしら、と思わせるようなひとつの家庭、ひとりの暮らしに息づく1冊でした。
いろんな想いの詰まった家族の一員である叔母からいただいたこの本をわたしは生涯大切にしながら、また明日も家族のドラマを綴ります。
ほがらか文庫025:「おそうざい十二カ月」暮しの手帖版
お料理本は読みものとして開きますと、穏やかな気持ちになります。
今日の献立を探すのではなく、季節の食材・調理道具・器などを学びます。
そして気になったレシピはぼんやりと頭の中に置きます。
(こうしてリビングに飾っても素敵な1冊です。)
なぜこの本が某大手古本屋さんで100円の値札を付けられて売られているのでしょう。
見つけた私はもう驚きと喜びと救出するような興奮した思いでした。
この中にあるレシピは、たとえそれを作らなくても読んでいるだけで得られることがたくさんあります。
初版が1969年のこのモノクロのお料理本。
47年の歳月を経ても輝きを損なわない一品一品。
今ではほとんど見かけなくなった、なまりやクジラを使ったレシピなどは、懐かしさと、時代の移り変わりと、忘れたくない食卓の記憶が蘇ります。
実際に何品も作っています。
最近ですと、鰯の甘酢煮。
新鮮な鰯を、お醤油やお酢、お砂糖を水で沸かした煮汁に入れてさっと煮るだけ。
お酢をきかせた大根おろしを添えて、おいしくてやさしい晩ごはんのおかずになりました。
大根と白滝の煮物も本当にシンプルな味付けなのに、本当においしくてびっくりします。
今で言う”揚げ出し豆腐”は、お豆腐のオイル焼きという名前で、暮らしに寄り添ってくれます。
こういう心に染みる本を世に送り出してきた、暮しの手帖社。