ほがらか文庫043:「あてなよる 大原千鶴の簡単・絶品おつまみ帖」
私の読書は始めから終わりまでの文字すべてを読んで、読了としています。
でも、「いつまでも読み終わらない本」があります。
それがこのお料理本です。
http://www4.nhk.or.jp/atenayoru/
そこで繰り広げられる酒宴のレシピが本になりました。
この本の売りは、番組では伏されているお酒の銘柄が紹介されているところ。
とは言え、ここに出ているお料理の美味しさと作りやすさのセンスは、誰しもが大原さんの大ファンになるでしょう。
なにより私ども夫婦は、録画したこの番組を見ることがいちばんの“あて”になっている気がします。
同じ放送を何度見ても、いい気分にさせてくれるのです。
始まりも終わりもなく、いつまでも見ていたい、読んでいたい本。
さて今夜は何をつくりましょう。
ほがらか文庫042:詩人 谷川俊太郎さんに会う
かの有名な詩人の姿を感じたくて、私はその時を待った。
2017年6月某日 立川。
会場に早めに着いたものの、全席自由席の開場待ちの列はできていなく、様子を見ながら、しれっと会場入口に近いロビーのソファに腰かける。
いつ椅子取りゲームの戦いが始まるのか、競争心なく育ったひとりっ子の私はソワソワしながらも、次の動向を見守る。
しかし、そしらぬふりを気取ってスマホをいじっていたら、いつの間にかその世界に入っていた。
次に顔を上げたときには、椅子取りゲームは始まっており、完全にひとり椅子を取れないで輪の外に立ち尽くす。
それでもなお冷静を装いながら、会場入口からは遠い最後尾を足早に目指す。
仕方なし…
ところが会場に入ってみると状況は悪くなかった。
登壇者二人を横長の半楕円状に囲むように座席が配置され、真正面はもう埋まっていたもののサイドの最前列はまだ充分残っていた。
ここからが問題だ。
登壇者の二人の向かい合う椅子…
わからない、どちらに谷川さんが座るのか。
椅子取りゲームの瞬発力が今求められている。
今度こそ…
賭けに出た私は、谷川さんが座るだろう椅子から視線がまっすぐ届く最前列を確保した。
しかし、本人が登場するまではまだ勝負はわからない。
なんともスリリング数十分を過ごしたのち、二人が登場。
私はついに勝者となった。
これからここで谷川さんの発する言葉はひとつも取りこぼしたくなかったし、忘れたくない、という欲求を払拭し私はペンをしまった。
記録を残すより、この目と耳と心で、谷川さんを感じることにした。
で、何を感じたかって?
人間でした。
しっかりしたおじいちゃん。
あとは…
秘密です!
ほがらか文庫の図書室でお話ししましょう。
(この時に買った本。中学生の頃「散文」を読んだのが懐かしい。)
ほがらか文庫041:歌人 東直子さんに会う
新しい月を迎える前に、この月のできごとなりを振り返ってみる。
もう、その残像が歩いてきた道のだいぶ後ろにあって見えるか見えないか、そんな記憶になっている。
でも、色あせずに息づいている印象がいくつもスライドショーのように私の頭の中で上映を繰り返した1ヶ月。
そのスライドショーの一幕は、東直子さんのサインを求めて対面したあの時。
贈り手の名前をたずねられて答えたあとの歌人の言葉。
「朗らかという文字は、なにか意識している感じがしますね。」
かれこれ三十数年つきあってきた、“朗”というこの文字の持つ響きをなかなか捉えられずに生きてきた私にとって、歌人のこの一言は、私の人生を決定づけられたようなインパクトがあった。
さすがプロは違う。言葉へのまなざしが違う。
などど、素人ながらに一歩言葉の深い世界へ足を踏み込んだような、いや私だって詩のひとつも書けるような気にさえなってしまう、ちょっと浮かれたスライドショーの余韻である。
ともあれ、“ほがらか”という人生のテーマを与えられた私にとってこの言葉は、いついつも私に課題を投げかけてくるのである。
(サインしていただいた本)
ほがらか文庫040:「まだまだ知らない夢の本屋ガイド」
あまり小説の類いを読まない私に、想像力の価値を教えてくれた一冊です。
図書館の貸出カウンターに寄るとき、
ふと横目で新着図書コーナーを見るのは本好きには欠かせない情報収集の一瞬。
まさかのフィクションとは知らず、タイトルと目次に惹かれてお持ち帰り。
こうやっていつも予定より多く本を借りるのはお決まり。
で、よく読んでみると実在する本屋の話ではない…
ちょっと目論見が外れてテンション下がる。
ま、これも何かのご縁だから読みましょう。
と読みはじめたら、まあ面白い!
さすが書店員たちが想像する夢の本屋の物語。
どの夢の本屋もありそう、いやあって欲しいと思う。
なんならアイデアを拝借して私がこの夢の本屋を開きたい。
そんな、本好きにはたまらない一冊です。
もちろん読後にはそれぞれ書かれた店員さんのお店もチェック。
こっちはリアル本屋なので、一度は足を運んでみたい。
楽しみがまたまた増えてしまいます。
ああ、人ってこうやって想像して創造していくんだって、だから物語は必要なんだって教えていただきました。
ほがらか文庫039 : 「最高の結果を引き出す質問力」茂木健一郎著
この本を読んで、どう私が変わったのか。
誰かに伝えるかどうかは関係なく、
「思っていること、感じていることのなるべく多くを正直に言葉にして自覚しようと試みる」ように変わりました。
この本の中で、そう書かれているわけではありません。
先月読み終わってから少し時間が経ち、もう一度ざっと読み返したときに、
「ああ、最近"言語化が大切だ"と考えているのは、この本からきているのだな」と感じたからです。
そのルーツを辿ると以下の引用が挙げられます。↓
「メタ認知」とは、自分の感情を冷静に観察し、「今、自分の状態はこうだ」「自分はこんな感情を持っている」と気づく力のことです。
つまり言葉になる以前の自分の感情を、言語化することで気づくことができると考えました。
そのために必要なスキルが、このところ出回っているこのワードです。↓
マインドフルネスとは、現在、環境の中で起こっていること、また、自分の中で起こっていることをありのままに見られる心の状態のことをいいます。
これはこれで、もう少し勉強してみたいです。
簡単に言うと、感情は意識によってねじ曲げることができるから、そうではなくて無意識に感じていることを認知する思考法のようです。
”正直”とはこのことを意味するような気がします。
ともかく、こういう風に考え始めた時点で、すでに自分自身への質問がなされています。
"自分自身への質問"は自分の生きかたを築きます。
他人への質問力と共に、自分自身への問いかけもとても大切です。
なので、質問力を高めよう!というのがこの本の目的です。
もちろん相手への質問力 に関してもちゃんと書かれています。
そして、私が読書に求めているものの一つが、自分の中でぼんやりと浮かぶ気持ちを、ぴたりと言語化されている言葉や文章だということにも気づかせてもらえました。
この本を開いた理由も、以前どこかで「いい質問ですね。」と言っているのを聞いて、それがぼんやりと心に残っていたからだと思います。
「私もいい質問をしてみたい」そう言う気持ちをずっと持っているのでしょう。
さて、今日はどんな質問をしましょうか。
家族に、友だちに、そして自分自身に。
ほがらか文庫038:「〔完全版〕佐伯チズ式 美肌バイブル」佐伯チズ著
年末年始にゆっくりお休みをいただいたので、なんとなくお肌のお手入れを念入りにしてみようと思ったんです。
それで久しぶりに”佐伯式ローションパック”を朝晩の洗顔後に施していたら、お正月を迎える頃には、ふっくらもっちり素肌になっていました。
という理由で、ほがらか文庫に異色の1冊が加わります。
どういう経緯で佐伯チズさんに辿り着いたのかはもう思い出せないのですが、手元にあるのが2011年の初版本で、おそらくスキンケアに興味をもった時期とさほどズレないように思うので、約5年くらい前からこの本を参考にしてお手入れしています。
女性として生きるためには、自分にあったスキンケアを確立することは必須。
私はこの本で佐伯チズさんに教えていただいて取り入れるようになってからは、化粧品選びで無駄にさまようこともなくなり、自分のスキンケアにも迷いはなくなりました。
と言いつつ、お肌のトラブルを感じていなかったことにかまけてローションパックをしばらくサボっていたので、この年末年始にその良さを改めて実感できて良かったです。
今年も自分らしさを輝かせていきたいですね。
ほがらか文庫037:「文章心得帖」鶴見俊輔著
鶴見俊輔さんの他の著作を目当てに図書館に行ったのですがあいにく貸出中で、第2希望のこの本をとりあえず持って帰ってきましたが、もしかしらた第1希望よりも良かったのかもしれません。
今年出版された本で、川上徹也さんの「こだわりバカ」というのがあります。
例えば飲食店の宣伝文句で「こだわりの◯◯」という、あってもなくてもいい決まり文句を、川上徹也さんは“空気コピー”と呼び、人の心をひとつも動かさない、何の役割も果たさない言葉と一蹴しています。
それは鶴見俊輔さんが「文章心得帖」のはじめに、文章を書くための第一歩として、“紋切型をつきくずす”ことと同じ主張です。
鶴見さんはこの紋切型と取っ組み合い、格闘することが文章を書くことの重要なポイントであると教えています。
さらに“あがきを伝える文章”こそが究極的にいい文章であり、“きれいに割り切れているというものは、かならずしもいい文章ではない”と言われています。
この本を読み終えてからしばらく、文章を書くことに向き合えないでいました。
さて、どう格闘しようか、どこを選びとろうかと、ぼんやりと巡らせながらも気が乗らないでいたのは、戦いから逃げていたのか、はたまた、何か思いつくことがなかったからでしょうか。
“文章を書くことは他人に対して自分が何かを言うという、ここで始まるものではない。実は自分自身が何事かを思いつき、考える、その支えになるものが文章であって、文章が自分の考え方を作る。だから、自分にはずみをつけてよく考えさせる文章を書くとすれば、それがいい文章です。” (P.23)