ほがらか文庫035:「モモ」ミヒャエル・エンデ作
三人のきょうだいが、ひとつ家に住んでいる。
ほんとはまるですがたがちがうのに、
三人を見分けようとすると、
それぞれたがいにうりふたつ。
一番うえはいまいない、これからやっとあらわれる。
二ばんめもいないが、こっちはもう出かけたあと。
三ばんめのちびさんだけがここにいる、
それというのも、三ばんめがここにいないと、
あとの二人は、なくなってしまうから。
でもそのだいじな三ばんめがいられるのは、
一ばんめが二ばんめのきょうだいに変身してくれるため。
おまえが三ばんめをよくながめようとしても、
見えるのはいつもほかのきょうだいの一人だけ!
さあ、言ってごらん、
三人はほんとは一人かな?
それとも二人?
それともーだれもいない?
さあ、それぞれの名前をあてられるかな?
それができれば、三人の偉大な支配者がわかったことになる。
三人はいっしょに、大きな国をおさめているー
しかも彼らこそ、その国そのもの!
そのてんでは三人はみんなおなじ。
このなぞなぞの答えがわかりますか?
大人だって児童書を読んでもいいのです。
大人だからこそ児童書を読むといいものです。
子どもだった私がこの本を読んだら、どんな思いを巡らせたのでしょう。
時間をケチケチすることで、ほんとうはぜんぜんべつのなにかをケチケチしているということには、だれひとり気がついていないようでした。じぶんたちの生活が日ごとにまずしくなり、日ごとに画一的になり、日ごとに冷たくなっていることを、だれひとりみとめようとはしませんでした。
大人になった私たちには鋭く突き刺さるメッセージです。
けれど時間とは、生きるということ、そのものなのです。そして人のいのちは心を住みかとしているのです。
人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそっていくのです。
この本の結論です。真理であり、核心です。
心が震えます。
児童書らしいファンタジーと色鮮やかな情景描写も堪能しながら、三人きょうだいについて考えてみませんか。
そして、「時間とは生きるということ」を語り合いませんか。
灰色の男たちに時間を奪われる前に・・・