ほがらか文庫021:「民藝の教科書」久野恵一監修
前回、民藝の話をしたので、またまた私の宝物を紹介しましょう。
形から民藝に入りたい方は、この「民藝の教科書」①〜⑥をお薦めします。
残念ながら、私はまだシリーズ6冊のうちの1冊しか持ち合わせていません。
散々悩んだ末に、初めの1冊として選んだのが、「民藝の教科書⑥ 暮らしの道具カタログ」です。
本を開いてまずびっくりしたのは、監修者の久野恵一氏と対談しているのが、大好きな松浦弥太郎さん!なんという巡りあわせ!私の心の世界がどんどん繋がっていきます。
本書の内容は、タイトル通りの民藝品カタログです。
そのカテゴライズが素敵。
【雪国の手仕事】
【山あいの手仕事】
【平野の手仕事】
【海辺の手仕事】
【都から来た手仕事】
【新しい伝統の手仕事】
なぜ道具がそこで生まれ育ち長い間使われているのかがちゃんと分かるようになっています。
それから、「民藝との暮らし方」というテーマで、実際に民藝品を取り入れた住まいを何例も紹介してあるのは、理想を思い描くのにとても参考になります。
私はリラックスしたい時にこの本を開くんです。
心が穏やかになりますし、夢も膨らみます。
まだ持っていない①〜⑤は機会を狙って大人買いしたいものです。
思想から入りたい方には、柳宗悦の著作をお薦めします。
地理学のアプローチとして読むのも面白いです。
国内旅行に出かける前には、ぜひその訪れる地域の民藝品をおさえてから出発すると、より充実した旅になります。お試しあれ。
ほがらか文庫020:「おいしいもののまわり」 土井善晴著
「さくっと気楽に読めるのだろうなあ」とはこの本を開く前の印象。
でも読んでいくと、雑誌のコラムをまとめた文章とは思えない読み応えがありました。
それはきっと、土井善晴さんのお料理に対する深さからくるものなのでしょう。
今となれば、私にとって土井さんという料理研究家はテレビでもおなじみの有名人。
でもテレビ音痴な私が土井さんを知ったのはちょうど1年前。
しかも初めての出会いが、ご本人の講演会でした。
知らない人の講演会に行ったのにはこういう理由があります。
以前から民藝に興味のあった私は、その日本民藝館に訪ねるチャンスを待っていました。
ある時、日本民藝館のホームページを覗いたら、「食と生活にまつわる話」という講演があるとの情報をキャッチ。
日本民藝館に行くだけでなく、食と民芸の重なるところのお話が聞けるならと、すぐに席を確保しました。
民芸品に囲まれた空間で、土井さんのお話を聞くひとときは本当に美しい時間でした。
その時にいただいた講演の原稿は私の宝物です。
この1年も折あるごとに読み返しては、土井さんの言われる「汁飯香香」「和食は民芸」という基本を確認して、日々の料理を楽しんでいます。
そしてまた、日本民藝館で土井さんのお話を聞いているかのように読みすすめ、暮らしを楽しみたい、そんな思いでこの本を手に取りました。
ここに書かれているひとつひとつを、私のきほんにしていくことが暮らしの楽しみとなりました。
実用書ではなく、読み物としてお料理の基本を味わえる1冊です。
ほがらか文庫019:頭は「本の読み方」で磨かれる 茂木健一郎著
興味ある新刊が出たら必ず読む著者の一人が茂木健一郎さんです。
今年からつけている読書記録ノートです。
初めのページに読書計画として読みたい本を書き出してみました。
しかし・・・
「アポロ的なものと、デュオニソス的なもの・・・」
初めに手にとったニーチェで早くも頓挫。
茂木さんセレクトはさすがレベル高い。
次の挑戦意欲がちょっと阻まれている今日この頃です。
でも必ず読みます。
ちなみに、すでに読んだ小林秀雄の「モオツァルト・無常ということ」は、頭は「本の読み方」で磨かれるが出版されるより前に、twitterで茂木さんに直接、「小林秀雄作品でまず初めにオススメの本を教えてください。」と聞いて、いただいたお返事の1冊でした。特別な本になりました。
こうして気になる方が薦める本を追いかけるだけでも、読書に暇はないのであります。
ほがらか文庫018:「養生訓」貝原益軒著
今年の私のテーマは「養生」と言ってもいいかもしれません。
年頭、メモにこのように書きました。
ほがらかに
今どんな顔をしているか
今の体調はどうか
心のベクトルはどこに向かっているか
自分を知る
そして冬の只中に熱を出して寝込んだ日々に読んだ1冊が、貝原益軒の「養生訓」です。
少し引用してみましょう。
養生の術というものは、ひとかどの大道で、小芸ではない。心にかけてその術を勉強しなければ、その道に達しない。その術を知っている人から習得できれば、千金にもかえられない。(中公文庫 P.32)
自分の健康の問題を、まったく医者の技術にまかせて、自分の生き方の問題であると思わない。(同 解説P.248)
そうか。自分の健康は、学び、考えなければ身につかない。
国民皆保険の制度に頼って、後手の治療だけではいけないよね、とは常々感じていること。
誰でも毎日、昼夜のあいだに元気を養ったほうが多かったか、元気をそこなったほうが多かったか、比較してみるとよい。(同P.38)
例えば、こうして自分の体と対話してみる。大切だ。
案外、自分のことはよくわかっていないもの。
でも自分のことは自分がいちばんわかりたい。
そうでなければ、健康が保てないもの。
さ、今日も体と心と対話しながら、ほがらかに。
種を蒔きっぱなしにしていたバジルがなかなか成長しなかったのですが、肥料をやった途端にぐんと伸びました。
私は何に対しても、あまり手を加えることが好きではありません。
ありのままがいいし、本来ありのままで足りているのではないかと考えるからです。
でも、植物と同じように、人間も手入れをして栄養を与えたほうがイキイキすることを、ベランダの小さな双葉に教えてもらいました。
ほがらか文庫017:「おわらない音楽」小澤征爾著
予習のためにこの本を読みました。
副題は「私の履歴書」で、日経新聞に連載された記事の書籍版です。
副題の通り、淡々と小澤征爾のこれまでの歩みが綴られていました。
初めにワクワクしたのは、「征爾」という名前の由来。
なんと、関東軍作戦参謀の石原莞爾さんと板垣征四郎さんのお名前から一字ずついただいたそう。
これ、前述の ほがらか文庫016:「昭和史 1926-1945」半藤一利著 - ほがらか文庫 に写真付きで登場するキーパーソン。
小澤征爾のお父さまは、満州で政治活動をしていてこの二人とも親交があったそう。
「ああ、そうか〜。今の世を引っ張ってきた人たちは、戦前戦後の昭和のど真ん中を生き抜いてきた人たちだ〜。昭和史抜きに人生語れないよね。」
と、早くもつながることまあ、気持ちがいい。
それから、プロの音楽集団に所属したことのない私には、ひとつの集団の人間模様が新鮮であり、やっぱり中は中でいろいろ大変なんだなあ、と感じました。
それと、小澤征爾率いるかの有名な「サイトウ・キネン・オーケストラ」 のサイトウというのは、彼の恩師の名前でした。こういうの素敵ですね。
この本に、小澤征爾が語る音楽の深い話をちょっぴり期待していた私には、氏の他の著書を手に取りたい思いに駆られています。
今、氏は、「毎日一時間半くらいかけて、四小節や八小節ずつ勉強する。終わりに近づくと名残惜しくて”明日も同じところをやろうかな”と思う。本当に楽しい。」と語っている。
さてその演奏を、今夜は念願叶って、聴きに行ってきます。
彼が立ち上げた新日本フィルハーモニー交響楽団の特別演奏会です。
ほがらか文庫016:「昭和史 1926-1945」半藤一利著
〜暑中お見舞い申し上げます〜
私の中での流れが自然と歴史に向いている今日このごろです。
昭和生まれの身として恥ずかしいくらい無知でしたので、ページをめくるたびに親や祖父母が生き抜いてきた時代がこんな混沌だったのかと、衝撃の連続でした。
「満州事変」とか「真珠湾攻撃」とか、ワードでは知っていましたが、学校で暗記したその言葉がひとつひとつ繋がっていきました。
そしてこのところ小林秀雄とか白洲次郎とか、柳宗悦などを学んでいたので、彼らの著書や生き方に刻まれている思いは、このような時代背景の影響があって紡がれきたことをしっかり捉えることができたと思います。
そして、“政治を監視せよ”との先達の想いが、言葉を超えて響いてきました。
まもなく終戦70年。
この激動の昭和をじっくり振り返りながら、“昭和に生まれた日本人の私” という立ち位置をあらためて認識し、未来につながる学びの夏にしたいものです。